「低侵襲」という言葉をご存じでしょうか。医療は病気やけがを治す行為ですが、そのために多少とも体に有害なことが伴います。その有害の内容や程度を「侵襲」と医学用語では呼びます。同じ治療でも、できるだけ患者様の体に負担をかけないよう「低侵襲治療」が推奨されます。
インプラント治療においても、患者様の体への負担がより少ない低侵襲な手術法が注目されています。しかし、どの患者様にも適応できるわけではありません。本当の意味で低侵襲な治療とは、どういうことでしょうか。
低侵襲なインプラント治療とは?
近年、インプラント治療の手術について、「サージカルガイド(※1)を使い、フラップレス(※2)でインプラントの埋入を行うので、安全で体への負担が少ない手術ができる」というような表現を目にすることがあります。
どのような手術なのか、説明します。
(※1)サージカルガイド
あごの骨を撮影したCTのデータを基に、インプラントを埋入する位置や角度などを計算し、誘導するように設計されたマウスピース状のもの。手術の際にこれを歯ぐきに固定することで、インプラントを予定通りに埋入することができる。
(※2)フラップレス
歯ぐきを切開するのではなく、歯ぐきの上から骨まで穴を掘るようにドリリングしてインプラントを埋入する手術法。
つまり、上記の表現は、インプラントの埋入手術の際に、歯ぐきを切開することなく、コンピュータ上の計算通りの位置に、インプラントを埋めます、ということです。
この表現を見ると、傷口も小さいので体に負担の少ない正確な手術のように聞こえますね。
しかし、この治療法が適用できない症例の方もいます。
実際の症例
この図は、ある患者様の上あごのCTデータを分析した画像です。
白い部分が骨です。その骨の中に黄色い丸印をつけた箇所にぽっかり空洞のようなものが写っているのがわかりますでしょうか。
これは何かというと、骨の中に溜まった「膿」です。
患者様にお話を聞くと、この部分の歯は何年も前に抜歯したそうです。
その際に、歯の根の先にあった膿疱(のうほう)が残ったままになっていたと思われます。特に痛みなどの自覚症状もなく、ご本人も気づいていませんでした。
手術に先立ち、CTの画像上で膿疱の部分を緑色で着色し、インプラントの埋入シミュレーションをしました。
シミュレーション図
2本のインプラントを使用する予定ですが、このまま埋入すればインプラントが膿に触れてしまうので、感染症を起こして、患者様に大変な苦痛を与えてしまいます。
そこで手術当日は、歯ぐきを切開し、骨を削って膿疱を取り出して骨をきれいにし、インプラントを埋入しました。幸い1日のうちに膿疱の除去とインプラントの埋入、仮歯の固定までをすることができました。(患者様の状態によっては、日を改める場合もあります)
このように、フラップレスの手術では行えないインプラント治療も実は多くあります。
本当の意味の低侵襲治療とは
最近では、腹部や胸部の手術に「腹腔鏡」や「胸腔鏡」を使った手術が多く行われています。これらは、体を大きく切ることなく小さい穴を開け、そこからカメラや器具を入れて手術を行うもので、体への侵襲が少なく術後の回復が早いのが特徴です。
インプラントのフラップレス手術も、一見これに似ているようですが、大きく違います。腹腔鏡などは、体内に小さいカメラを入れて、患部を見ながら手術を行います。臓器が重なり合った部分の手術の場合には、切開手術よりも確実に患部を見ることができる場合があります。
一方インプラントのフラップレス手術は、CTで検査したデータを頼りに、歯肉や骨の状態を実際に目で確認することなく手術を行います。レントゲンやCTを撮影することで、骨の状態をかなり知ることができます。しかし微妙な骨質は、やはり実際に歯肉を切開して目で見て触ってみないとわからないこともあるのです。
もちろんフラップレスも、きちんと精査され、熟練の技術を持った歯科医師が正しく行えば、患者様にとって侵襲の少ない治療法です。しかし、骨の質や状態を歯科医師が目で見て確認し、それに応じた手術を行うことで術後のトラブルを避け、安全に治療を行うことも低侵襲な治療と言えます。
このようにインプラントの手術にも、術式はいくつかあります。どれか一つが優れている、というものではなく、患者様の状態によって最良のものは違います。大切なのは、術前に正しく診断できる目を持ち、その症例に対して最善の判断をし、最適な処置ができる技術を持った歯科医師が施術することです。